「ありのままの自分」で生きると決めたら楽になった
こんにちは☺️
1歳と4歳の2児のママ、ゆかりんです。
最近、私は「ありのままの自分」で生きようと決意しました。
「ありのままの自分」で生きるって当たり前じゃないの?どういうこと?
について書いていこうと思います。
思い返せば、私は物心がついた頃から人に笑われることがとにかく嫌いで、周囲と違うことを極端に気にして、とにかく「普通」でありたいと思って生きてきました。
だから目立つようなことは極力したくなかったし、みんなが持っている物は自分も欲しい、みんなが見ているテレビは自分も見たい。とにかく「みんな」と同じになることをいつも意識していたように思います。
だけど、本当の私は目立ちたがり屋?で、私はこんなことができるよって見せたかったし、心の奥底には強い自己顕示欲がありました。
小学生の頃、モー娘。が大好きで、モー娘。になりたい!とずっと思っていました。髪型や洋服も大好きな加護ちゃんの真似をして、毎日歌って踊っていました。
中学生になって、新メンバーのオーディションに応募できる年齢になったのですが、そのオーディションから形式が少し変わって、応募者全員の映像がテレビで流れることになったのです。
私は幼少期からずっとぽっちゃりしていて、自分の容姿にかなり劣等感を持っていたので、心の奥底では「自分がモー娘。になれるわけがない」と考えていたんだと思います。
モー娘。になってテレビに出るのはいいけど、モー娘。になれっこないのにオーディションに応募してるのが学校のみんなにバレるのは嫌。という矛盾した、そして今思えば自意識過剰な感情を持っていて、「みんな」から笑われたくないという気持ちからオーディションに応募することすら諦めてしまいました。
実際には1画面に何人もの応募者の映像が一度に数秒流れるだけなので、別にバレることはなかったと思います😅
モー娘。の話が長くなってしまいましたが、これって「ありのままの自分」で生きてるって言えないと思いませんか?
「ありのままの自分」はモー娘。になりたい!テレビに出たい!と思っているのに、「みんなの前での自分」は、モー娘。になりたいと思っていることも言えない。
モー娘。のオーディションだけじゃなく、大なり小なり似たようなことがたーくさんあって、私は「ありのままの自分」を自分の奥底にひた隠しにして、「みんな」と同じ自分をいつも演じていたのです。
そんな感じで「ありのままの自分」を曝け出すのは恥ずかしいことだと隠して生きてきた私は、自分でも「ありのままの自分」がわからなくなってしまいました。
自分の意見がなくて、本当にやりたいことも、本当に興味のあることも、本当に好きなこともわからなくなって、一緒にいる人や環境によって自分の性格や言動が変わってしまうことに嫌気がさし、いつも「何かが違う」とモヤモヤを抱えながら生きていました。
ところが、去年からコロナ禍になり、人と交流する機会が極端に減りました。今まで人と会っていた時間を「自分」のために使う絶好の機会がやってきたのです。
ちょうど1年前の私は、「考え方」を変えることの重要性に気付いて、成功者の考え方や心理学などへの興味が爆発していました。興味の赴くままに本を読んだり動画を見たり、インターネットで調べたり。それはもう目から鱗の連続でした。
そんな中、
「自分の人生は自分にしか生きることができない」
という言葉が心に刺さりました。
いつも「みんな」を気にして「自分」を置いてきぼりにして
一体何のために生きてきたんだろうと。
せっかくこの世に「私」として生まれてきたんだから、
「私」が好きなことをして「私」として生きて、
たとえ失敗したとしても「私の人生」なんだから自分で責任を取ればいいじゃないか!
と心の底から思いました。
「誰か」のために自分の人生を犠牲にしたり、傷つけたりするのは、誰のためにもならない。
「ありのままの自分」で生きて、「ありのままの自分」がやりたいことで少しでも他人の役に立つことができたらそんな幸せなことはない。
まずは自分が「ありのままの自分」を認めてあげること、それから「ありのままの自分」にできることをやって、社会に貢献したい。
偽善っぽいけど本気でそう思うようになりました。
「みんな」なんて存在しない。「みんな」だって本当は一人一人違う考え方を持っていて、同じ物を見ていても違う感じ方をしている。それをまずは理解して、認めて、「自分」を否定しないで生きていきたいです。
「みんな」違うんだから、私は「ありのままの自分」を隠す必要はない。「ありのままの自分」を他人がどう思うかは、その人の問題で、どっちにしろ私にはどうにもできないことなんです。
そんなこんなで
「ありのままの自分」で生きると決めたら
自分の感じたことをそのまま表現できるし(もちろん人を傷つけることはダメですが)、
相手の反応を過剰に気にすることも無くなったので
とっても心が軽くなりました。